#1 品川の座標に関するいくつかの考察(前編)

nu-nu

2021.05.08

#1 品川の座標に関するいくつかの考察(前編)

1330_@Shinagawa

きわめて個人的な話をさせてもらうと、ぼくは、品川駅の位置をうまく認識することができない人間である。

記念すべき東京オジサウナ第一回目の会合は、13:30品川集合であった。 集合時間の5分前に品川駅に到着し、なにげなくGoogle Mapで現在地を検索したところ、赤いピンが自分の思うよりずっと右側に立つのを見て、ああ、そうだったそうだった、また間違えた、とぼくは嘆息する。

山手線を時計とすれば、ぼくの頭の中の品川駅は、時計の左下、だいたい7時の方向にある。 そして6時の方向に田町があり、浜松町が5時に位置する。 目黒・五反田あたりの賑やかなエリアが9時前後を占め、8時周辺にぽっかりと空いた空間に、大崎が居心地悪そうにもじもじと鎮座している。・・・といった具合である。 完全にバグっている。自分でもじゅうぶんにそのバグを認識している。 しかし、そのイメージはぼくの脳内にしっかりと根を張り、ぼくを完全に支配している。

中央改札に足を進めながら、ぼくは考える。どうして品川ってこんなに東側にあるんだろう? Pi、という気持ちよい高音と共に改札を通過し、ぼくはすぐに考えを改める。問いの立て方が間違っていた。どうしてぼくは、品川が山手線の西側に位置すると、頑なに思い込んでいるんだろう?

無事に三人が集まり、山手線沿いを右回りに、ぼくたちは歩き始めた。次の目的地は大崎だ。 僕の認識では7時の方向から8時の方向へ、つまり北西へ歩みを進めているつもりなのだが、なぜかGoogle Map上では、三人のおじさんは着々と南下していることになっている。ぼくの全身をむず痒い感覚が襲う。

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品川を過ぎてほどなく、山手線は京浜東北線と上野東京ラインに別れを告げ、大きく湾曲する。わたしはあなたたちと違って、延々とこの円周をなぞるのが仕事だからさ、どうぞお気になさらず、とでも言いたげだ。会食でウーロン茶をオーダーする懐妊中の女性のような、学費のためにアルバイトに勤しむ苦学生のような、諦めと誇りがないまぜになった、きっぱりとした決別がそこにはある。

そしてその決別の先に待つのが大崎駅だ。ぼくたちは駅ビルのエクセルシオールカフェで少しばかりの休憩を取ることにした。アイスコーヒーで喉を潤し、ぼくは品川駅の位置に関する誤った理解(と、そのバグをぼくにもたらした理由)についてふたりに問おうと思ったが、すんでのところで思いとどまった。これはきわめて個人的な問題であり、他者の助言を求めることは、何か決定的な、人生の主導権のようなものを喪失することになるかもしれないと感じたのだ。

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山手通りを北上し、西五反田1丁目の交差点を右に折れ、ぼくたちは目黒川沿いに歩くことにした。硬質なコンクリートに薄く張った水面には鮮やかな陽光が煌めき、街路樹が創り出す木漏れ日を縫うようにランナーが駆け抜ける。文句の付けようのない、圧倒的な、休日だ。ぼくは改めて、春の訪れを喜んだ。

すっかり葉桜になってしまった頭上を見上げて、そういえば、今年は目黒川の桜を見ることはなかったと気付く。 数年前まで中目黒に住んでいた僕は、4月の晴れた日には缶ビールを片手に目黒川沿いをよく散歩したものだった。コロナの空き瓶を何本もまき散らして大声で騒ぐ若者や、仕立てのよいジャケットを羽織ってゆっくり歩く初老の男性、淡い春色のロゼを持った色っぽい女性と堅気とは思えない男性の組み合わせ・・・そんな4月の目黒川の喧噪を、ぼくはわりと愛していた。

思えば大学を卒業して上京して以来、ぼくは東京の西側を中心に生きてきた。 4度か5度、色々な人と色々な土地に住んだが、京王沿線や小田急沿線、中央線沿線といった「西側」がぼくのテリトリーであり、ぼくの知る「東京」であった。都心部に入り込むことはほとんどなく、山手線との接触は新宿と渋谷が大半であり、ときたま恵比寿や目黒の小洒落たお店で食事をするくらいであった(そんな場合でも、二軒目は決まって渋谷の安い居酒屋へ移動した)。山手線の内側を、本能的に避けていたのだと思う。

そんなことをぼんやり考える中で、ふと、一つの仮説が浮かぶ。

品川に関する誤認は、ぼくが東京の西側に住み続けていたことと関係があるのではないか。

ぼくの東京生活圏と山手線との重複は、新宿を北端、目黒を南端として限られており、その先の数駅を、生活圏周辺のカタマリとしてとらえていた。「新宿の先=新大久保とか高田馬場とか」「目黒の先=五反田とか大崎とか品川とか」「その先は、あんまりよくわかんないなあ」という具合だ。

加えて、山手線が円周を描く形状であることは知識として知ってはいるものの、西側を生活圏とするぼくの中のイメージは「都心部への参入を阻む、南北を縦断する直線的な壁」であった。ベルリンの壁のように、一切の例外を許すことなく、どこまでも冷徹に他者を分断する無慈悲な壁。

まだサウナにも入っていないのに、じっとりと汗がにじむ。核心に近づいている確かな手ごたえを感じる。

気付けば中目黒の交差点まで歩いていた。日の傾きを覚え、サングラスを外す。 そろそろ散歩を終える頃合いだ。

今日の散歩の〆は改良湯にしようと道中で決めていた。 目黒川に別れを告げ、槍ヶ先方面へ方向を転じ、坂道を踏みしめる。 槍ヶ先の交差点を過ぎ、だらだらと坂を下ると、見慣れた恵比寿の駅前の風景が広がる。

見上げれば、渋谷駅と恵比寿駅を結ぶ、山手線の高架が聳え立つ。ぼくはハンカチで汗をひと拭いする。その汗が数時間に及ぶ有酸素運動によるものだけではないことに、ぼくはもう気付いていた。

畏怖と共に、ぼくはベルリンの壁を通過する。

(後編に続きます)

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