鶯谷のエシャロット ~サウナセンター@鶯谷~

nu-nu

2021.06.01

鶯谷のエシャロット ~サウナセンター@鶯谷~

今年は梅雨入りがやけに早い。なんでも、四国と近畿では観測史上最も早い梅雨入りだそうだ。在宅ワークで外出の機会が無いとはいえ、雨粒が見えるや見えんやという霧雨が延々と続く中、一日中部屋に籠ってPCと向き合うのは、なんとも気分が参ってしまう。

「観測史上最も早い梅雨入り」とあるが、果たして梅雨の観測というのはどのようにして行われているのだろうか?咲いたらOK、という桜の開花宣言と違って、その雨が梅雨によるものなのか、ただの天気雨なのかを弁別するのは容易なことではないだろう。キャリアを着々と重ねた権力者がずらりと円卓を囲み、延々と議論を交わしてようやく決まる類のものなのだろうか。これはちょっと梅雨とは言えないですよねえ、いやいやそうは言っても去年はこれを梅雨って言っちゃったもんだから今年もさすがにそろそろ宣言しないと…といった具合に。

あるいはひょっとしたら、それはきわめて感覚的な問題なのかもしれない。「気象庁公認 梅雨ソムリエ」と控えめな明朝体で印字された、濃紺の雨合羽に身を包んだ色白の青年が、くんくんと鼻を効かせ、口の端に滴った雫をぺろりと舐め、人差し指と親指でゆっくりと雨粒を擦り、か細い声で『間違いありません。これは、梅雨です』と告げた瞬間こそが梅雨入りなのかもしれない。重責の伴う大変な仕事ではあるが、究極の季節労働者であるとも言えるだろう。宣言が終われば、ゴールデンウィークまでは長い長い休暇期間だ。きっと給料も悪くないだろう。転職エージェントから紹介されたら、面接くらいは受けてみたい。きっと僕なら、雨合羽と長靴を脱ぎ捨て、早々にANAの那覇便に飛び乗ることだろう。長雨で冷えた身体を優しく温めるANAのコンソメスープ。

そんな下らないことを考えていたら(ほんとうに下らない)、霧雨が上がり晴れ間が覗いていた。梅雨の晴れ間にすべきことといえば、一つしかない。サウナだ。

都内最古のサウナ専用施設ともいわれる「サウナセンター」は、いかがわしいイメージの強い鶯谷駅から、いかがわしい路地を歩いて5分ほどの場所にある。古めかしく堂々とその存在を主張する看板の片仮名フォントがすでにいかがわしく、入口で巨大なガンダムに迎えられるのに至っては、なんだかもうよくわからない。

平日の昼過ぎに仕事をサボって鶯谷を訪れた引け目もあり、そそくさと受付を済ませ、足早にサウナに向かう。3段構えのサウナ室は込み合っていたが、最上段に空きスペースを発見し、いつも通り5分間の瞑想に入る。事前に水分を補給したこともあり、発汗はたっぷりだ。

程よく蒸され、水風呂へ。いつもであれば2分ほど浸かるところだが、サウナセンターでは少し行動パターンを変えるようにしている僕は、30秒ほどで水風呂を後にして、サウナの隣の「ペンギンルーム」に直行する。

この施設の最大の特徴が、この「ペンギンルーム」である。強力すぎる冷房で氷点下付近まで冷やされた小さな部屋に、プラ椅子が3つ。尻の皮が張り付いてしまわないかという不安とともにプラ椅子に腰かければ、頭上には轟音を上げる扇風機が容赦なく冷気を浴びせかける。何もかもが大味だ。だが、それがいい。肺の奥まで冷気を吸い込めば、内的放射とでも言おうか、水風呂での熱放射とはまた異なる趣の解放感に包まれる。そして、なんといっても、この小部屋の壁には、サウナ好きが愛してやまない、あのアイテムが吊り下げられているのだ。

ヴィヒタ【Vihta】!

なんと麗しい響きだろうか。しなやかな白樺の枝葉で背を叩けば、明日も頑張ろうと背筋が伸びる。北欧の森を思わせる香気を嗅げば、澱のように溜まった醜い感情が解けていく。メリハリをなくしたおじさんの毎日に、ほどよい緊張と弛緩をもたらすアイテム、それがヴィヒタなのだ。

僕はプラ椅子に腰かけゆっくりと目を閉じる。扇風機の轟音と冷風が、雑念を吹き飛ばす。来るべきヴィヒタ体験への期待を膨らませ、全身が乾いてゆく。

3分ほど経ったころだろうか。目を開けると、ぼくは壁に信じられないものを見た。

ヴィヒタ【Vihta】!が、無い!

決して予見できない事態ではなかった。このご時世である。複数人の素肌に接触するアイテムを施設内に用意することは好ましくないと判断したのだろう。理解はできるが、期待を損ねたショックは大きかった。ヴィヒタ。しなやかなその弾力。ヴィヒタ。鼻の奥がツンとときめく、その香気。ヴィヒタ。日本語ではおよそ発音しないであろう、その音節が織りなす魅惑。ああ、ヴィヒタ・・・。

1時間後、このまま家に帰って、終わりの見えない仕事を続ける気にもならず、鶯谷の周辺をあてどもなく歩いていると、今にも潰れそうな商店を見つけた。何の気なしに店頭を除くと、「エシャロット 100円」とある。

エシャロット【shallot】!

ヴィヒタには敵わないものの、これはこれで、麗しい響きである。玉ねぎなのか、ニンニクなのか、ラッキョウなのか、どのカテゴリに属するのかよくわからないところも、何かしら琴線に触れるところがある。買ったことは、もちろん無い。せっかくだから、と2束購入し、少しだけ気分を晴れやかにして帰路に就く。鶯谷のエシャロット。悪くない。

自宅について早々に、ピクルスを作ることにした。ヴィヒタには敵わないものの、霧雨にまみれたメリハリのない毎日に、ほどよいアクセントを加えてくれるレシピだと感じたのだ。幸い、家には買い置きしてある野菜が山のように積まれており、材料に困ることはなかった。無心で野菜を切り、タッパーに詰め、砂糖と酢と味の素を振り掛け、仕上げに輪切りの鷹の爪を添える。

2日間ほどたてば、程よく漬かって食べ頃になるだろう。タッパーのふたをぎゅうぎゅうと閉める頃には、ヴィヒタの喪失感はとうに消え失せ、来るべきエシャロットの食感に僕の胸は高まっていた。

▼ピクルスができるまで▼

pickles

nu-nu.

© 2023 tokyo oji sauna